訴訟で負けて、運動で勝った!?―東亜ペイント事件―

[コラム] 2016/07/18

私も、7月15日に行われた労働組合との連携についての講座に参加しました。

最も驚いたのは、配転命令を拒否したことによって労働者が解雇された、あの東亜ペイント事件で、労働組合が行った労働運動の結果、労働者は原職復帰を勝ち取っていたということでした。

 

東亜ペイント事件の最高裁判決(昭和61年7月14日判決)は、配転についての基準を示したもので、今でも配転命令の有効性が問題となる事案では、必ず引用される判決です。最高裁判決は、就業規則等から配転命令権が認められる場合について、①業務上の必要性がない場合、②不当な動機・目的をもってなされた場合、③労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものである場合に、権利濫用として配転命令は無効になると判示し、「71歳の年老いた母と幼子(2歳)を抱えた妻を残して単身赴任に応じられない」という労働者が主張した不利益は著しいものではなく、「本件転勤命令は権利の濫用に当たらないと解するのが相当である。」と判断したのです。これを読むだけでは、労働者は負けた!と思いますよね。

 

ところが、破棄差戻しとなった大阪高等裁判所で、原職復帰の和解を勝ち取っていると講座で教えてもらいました。びっくりです。この事件のことを書いた記事が、我が日本労働弁護団が発行している労働者の権利220号に掲載されていました。この記事には、親会社と背景資本である銀行に対する要請活動が取り組まれたと書いてあります。大阪(東亜ペイント本社所在地)では、その銀行の支店32店舗を3巡する要請活動がなされたそうです。最初は面会を拒否していた銀行が、終盤では「要請の趣旨は伝えておきましたから」と言うまでに変化したそうです。また、闘争を支持する組合活動が維持されていたため、その活動が広がることを経営者が危惧していたはずであることも指摘されていました。

 

配転命令を拒否して解雇され、原職復帰するまで18年間かかっています。18年間も闘い続けること自体困難ですが、訴訟で負けても労働組合活動で労働者の権利を実現することもできるのだと、改めて強く感じた勉強会でした。